あまろぐ

~笑い声が響きわたる快適な世の中づくり~

母が我が子を想うキモチ

こんにちは。

バスケットをはじめて17年目になります。

AMA(アマ)です♪

バスケ後の筋肉痛はかろうじて次の日です。

、、、

 

さて

 

今日のテーマは母親が我が子を想うキモチです♪

自分の過去の出来事を書きます。

すこし照れくさいけど(笑)

照れながらもさらけ出すよ~!

 

小学生時代 ~バスケットに明け暮れる日々~

 

ぼくは小学4年生~6年生までバスケットボール一色の生活をおくった。

 

どれほどかと言うと

 

早朝、授業がはじまるまで運動場にあるリングでシュートを打ち続けた。

授業がおわるチャイムが鳴るたびに、リングが待つ運動場へ駆け出し、

学校が終わると、地域のバスケットボールクラブへ通った。

 

休みの日には

公園で苦手だったドリブルの練習をしたり

マンションの駐車場の壁と向きあいパスの練習もした。

「うるさい!!他でしろ!!」

よく怒鳴られた。

すこし恥ずかしい話だが何度も何度も鏡のまえに立ち、孤独にパンツ一丁でシュートフォームの確認をした。

親に見られ、顔を赤くした頃が懐かしい。

 

それくらいバスケットが大好きで。

誰にも負けたくなかったのだ。

 

努力の成果

 

はじめたばかりの頃はやはり試合の出場機会には恵まれず、出れたとしてもほんの少しのプレータイムだったことをよく覚えている。

 

毎日練習に取り組み、苦手なことやできないことを克服することで成長し少しずつであるが試合にでれるようになったのだ。

 

嬉しくて楽しくてしかたなかった。

一段とバスケットが好きになった。

 

最高学年の6年生のときには副キャプテンを任され、もちろん主力メンバーとして貢献することができた。

 

充実していた。なんでもできる気がした。

 

思いがけない挫折

 

当時大阪市内を4つの地区に分け、各地区で選手を選考し試合をする「なみはやジュニアーズ」という大会があった。

その大会は大阪市内でバスケットをしている小学生なら誰もが憧れる大会だ。

 

ぼくも選ばれたくて必死だった。

 

そしていよいよ選考会

試合をしたり練習会があったりと本格的である。

相当な数の小学生が参加し、ふるいにかけられるのだ。

 

なんとか最終選考まで残ることができ、

アピールすることができた。持っている力をすべて出し切れた。

自分ではそう思った。

 

しかし

 

選抜選手になることができなかった。

ぼくが所属するチームで唯一「自分だけ」が選ばれなかった。

 

ひとり部屋で泣いた。

悔しくて悔しくて涙が止まらなかった。

 

誰よりも練習した自信があったから

「これでもか」というくらい努力をしたから

 

大好きなバスケットが大嫌いになった。

 

母が部屋に入ってきた

 

布団のなかで号泣するぼくを見て状況を理解したのだろう。

 

母は

 

 

泣いた。

 

 

それもぼく以上に。

声がもれるほど号泣していた。

 

それは

日々愚直に努力するぼくの姿

ぼくが練習から帰ってきたときの楽しそうな雰囲気

バスケットシューズや練習着を一緒に買いに行った時の希望に溢れるぼくの笑顔

を見てきたからだと思う。

 

母からの温かさを感じた。

 

悔しいと思う気持ちと同時に

「強くなりたい」

「笑顔にできる存在になりたい」

と思うようになった。

 

大切な人が悲しむのは嫌だから。

笑顔でいてほしいから。

 

そしてそれからは嫌いになっていたバスケットをもう一度がんばろうと思い、

17年目の今に至ります。

 

母が我が子を想うキモチは本当にすばらしいものです♪

 

感謝しています。

 

いつもありがとう。